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107の「偶然の産物」を記憶の道標として
藤森照信
山下 和也:著、叶 真幹:著、井手 三千男:著
西田書店
1,470 円
ISBN: 488866434X

 神田に西田書店という出版社があって、今はビルに入っているが、昔は戦前ものの面白い姿の看板建築に間借りしており、それで存在とその小ささだけは知っていた。

 西田書店は小さいわりには、あるいは小さいからこそ志が高いのか、<文明の庫>双書というシリーズを手がけており、その一つとしてこの本が出された。

 放っておくとまちがいなく大量の新刊の海に沈んで見えなくなるタイプの本だが、放っておくには惜しい内容なのでここに紹介したい。

 題のとおりヒロシマ関連だが、これまでたくさん出されてきたヒロシマ関連とはちがい、被爆建物をテーマにしている。人間でも政治でも文学でも科学でもなく建物が出てきたことに、ヒロシマの生の体験の時代が終ったことをまず思った。

 歴史の記憶は、とりわけ傷となった記憶は、傷を負った人と社会がまず語る。ついで、そうした人と社会に触れた表現者が語る。でも、いずれ人も表現者も亡くなって、生の体験の時代は終る。その段階になってもまだ傷跡を見せて語る、といっても分かる人にしか分からないような小声でしかないのだが、何ごとかを語るのが建物なのである。

 広島ではそうした建物のことを「被爆建物」と呼び、近年、広島市によって調査が行なわれてきた。3人の担当者の地道な調査の成果は、10年前に調査報告書として広島平和記念資料館から刊行されているが、書店の棚に並んだわけではない。それをおそらく西田書店が惜しんだのだろう。そして、

 「10年後に再び、3人の作業は始まった。この間、被爆建物を取り巻く状況も変化していた。一部保存された袋町小学校、全面解体され切り取られた壁面などがモニュメントとなった旧大林組広島支店や旧広島中央放送局、利用状況が変わった旧日本銀行広島支店、等々」

 建物も変れば、人も変り、写真担当の井手氏は本の刊行直前に病没した。

 現在も残る「原爆を見た建物」は、107件にのぼるという。思っていたよりずっと多い。その象徴が原爆ドームにほかならないが、あのドームがああいう印象深い姿で残ったのは、さまざまな偶然が重なっての奇跡のような結果だった。

 「原爆によって、この建物内にいた人も、(建物のある)猿楽町の人もすべて即死し、街は灰燼[かいじん]に帰した。ほぼ真上からの爆風のためにかえって、レンガ造の壁面は残った」

 爆心地だったからこそ、レンガの壁が横風で倒されずに残った。この解説では触れられていないが、もう一つの偶然があって、ドームの構造をなす鉄骨の上に銅板屋根の下地として張られていたのは木の板で、ちょうど障子の桟に貼られた障子紙のように銅も板も爆風で瞬時に吹きとばされたから、桟にあたる鉄骨への風圧は減り、残ることができたのである。

 残ったものの、戦後、取壊し論が強いなかで、

 「丹下健三は、平和記念公園の49年の競技設計でこの廃墟を組み込み、計画のシンボルとした。一時は除去される恐れのあった建物に光をあてた」

 コンペ最終選考に残った16案のなかで原爆ドームに焦点を当てたのは丹下案だけだったが、審査委員会の一回目投票(計27票)では、丹下案はわずか2票しか集められなかった。しかし、討論のなかで逆転勝利する。

 こうしたたくさんの偶然とわずかの必然が、原爆ドーム以外の被爆建物にも重なって、残されてゆく。

 たとえば、爆心から1690mの距離にあった千田国民学校講堂は、

 「原爆で焼け残った講堂の鉄骨は、10年以上も校庭に残っていた」。原爆ドームと同じように鉄骨だけが残骸として残ったのだが、それに学校の誰か智恵者が目をつけ、1956年、金網を張ってウサギやニワトリを飼う飼育舎に転用され保存されて今日にいたる。

 鉄骨とコンクリートの建物が多く残るのだが、木造もないではない。爆心から2740mの距離がさいわいしたのだろう、善法寺本堂は、

 「被爆当時三菱重工広島機械製作所の人事課が疎開し事務作業を行っていた。本堂は西に大きく傾き、屋根や天井の多くが落下するなど大破し、負傷者を出した。まもなく境内に多数の被災者が運ばれ、寺は救護所兼遺体収容所となった。現在でも西に傾いたままの本堂は、原爆の凄まじさを伝えている」

 主な被爆建物について、旧状、被爆時そして現状の写真を並べ、地図とデータと解説が付く。

 それらの多くは、現在の復興した広島の街並みのなかでは異物の感はいなめないが、何かのおり、白い御飯に混じる黒い石の粒のような異物に気づいた人は、その語る言葉を聞くことになるだろう。3人の著者は、こうした被爆建物のことを、過去から未来へと進むための道標(みちしるべ)だとまとめている。日頃は気づかなくても、迷った時には必要な道標。

<毎日新聞 2006年10月15日>
ヒロシマをさがそう―原爆を見た建物
山下 和也:著、叶 真幹:著、井手 三千男:著
西田書店
1,470 円
ISBN: 488866434X
ガイドブック ヒロシマ―被爆の跡を歩く
原爆遺跡保存運動懇談会:編集
新日本出版社
1,365 円
関根 一昭:著
平和文化
2,625 円
戦争廃墟
石本 馨:著
ミリオン出版
1,995 円
陽気な引っ越し―菅原克己のちいさな詩集
菅原 克己:著
西田書店
1,365 円
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