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絶望を漂わせ働く人々の深層
小西聖子
デイヴィッド K.シプラー:著、森岡 孝二:翻訳
岩波書店
2,940 円
ISBN: 4000257595

 スーパーマーケットのレジや駐車場の入り口で、不機嫌そうに働く人たちの姿は、米国に行った時に強い印象を受けるものの一つである。デリでサラダを頼むと、どさっと野菜をボウルに投げ入れてマニュアルどおりに作ってくれる。けれど、レタスにも、トマトにも、店にも、客にも、何の関心もないみたい。しゃべりたくもないみたい。ただ働いて、時間がくるまで耐えているように見える。日本にも不親切な店員はたくさんいるが、こんな風に絶望と無関心をあらわにしている人はめずらしい。

 こういう人たちの服装もしばしばアンバランスな感じがして、私には不思議だった。洋服が破れていたり、靴が壊れかけていたりするのに、一方で、奇抜なドレッドヘアや、凝ったネイルや刺青(いれずみ)など、どうみても高価な身体装飾がなされていたりする。私はこの人たちの生活を、うまく想像することができなかった。

 その疑問は、この本を読んで氷解した。この本に描かれるアメリカの貧困の像は、私の見た不機嫌な労働者そのものであったからである。

 最低賃金に近い時給で働き、長時間働いても昇給も昇進も期待できない。生活費に余裕はないから、家の整備が出来ない。そのせいで子どもの喘息(ぜんそく)が悪化するが、医療保険に入れないから、治療は最小限になり、医療費がかさむ。それがクレジットカードの借金となり、そのせいで、借金の利率は上がり、さらに生活費を圧迫する。通勤のための車が買えなくなり、有利な仕事につくチャンスを逃す。さらに長い時間の労働が必要になる。悪循環が構造的に生じていく。生活保護や食料切符があるとしても、ブッシュ政権下ではそれがさらに削られている。

 アメリカの貧困は、上昇とセットになって語られるのが常だった。「働けば食べられる」「がんばれば成功する」という神話のある国で、働いてもどうにもならない貧困に絡め取られた階層があることを、著者は語る。貧しい人たちの生活を綿密に取材した事例の数々には、圧倒的な力がある。二〇〇四年に出版されたこの本は、アメリカでも多くの反響を呼んだ。

 外形的な貧困にかかわる問題だけでなく、より心理的な問題にも、目が向けられているのも特徴だろう。お金がなければ、安い野菜や食品を買って自分で調理するのが一番経済的なはずだが、貧困者は、長時間労働で疲れきって、あるいは抑うつ状態で家事が出来なくて、あるいはそういう調理法を誰からも学ぶことなく育って、割高なジャンクフードや外食に多くの食費を払うことになる。

 家族が仕事で忙しいために、また気力がもてないために、どうやって関わってよいかわからないために、子どもへのケアやしつけが放棄される。虐待やネグレクトが高頻度でおこる。子どもは対人関係も生活の技術も学ぶことなく、いつ暴力を振るわれるか分からない環境で大人になるが、そのような状況で、満足な安定した仕事につけるわけはない。貧困は、家庭の中でも弱者である子どもに強い圧迫を加え、それが次世代にも大きな影響を及ぼし、貧困の継続が生じる。

 クレジットカードと車を持ち、コーラをたらふく飲みながら破産する。文化や家族の絆(きずな)が崩壊したまま子どもが子どもを育てる。同じことが日本でもおきはじめているのだとすれば、どの店に行っても、表情に絶望を漂わせた店員に出くわすのも、日本でもそう遠くない、ということになる。(森岡孝二・川人博・肥田美佐子・訳)

<毎日新聞 2007年5月27日>
ワーキング・プア―アメリカの下層社会
デイヴィッド K.シプラー:著、森岡 孝二:翻訳
岩波書店
2,940 円
ISBN: 4000257595
デイヴィッド・K. シプラー:著、千本 健一郎:翻訳
朝日新聞社
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