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国民的熱狂がもたらす悲劇
川本三郎
佐藤 忠男:著
平凡社
1,680 円
ISBN: 4582454356

 映画評論家の佐藤忠男氏は昭和五年(一九三〇)生まれ。小学校高等科を卒業し、「軍国少年」として少年兵を志願し、海軍航空隊に入隊した。小学校に入学したのが日中戦争が始まった昭和十二年。物心ついてから日本はずっと戦争をしていたから少年兵を志願することは自然のことだったという。敗戦の時は十四歳。旧帝国軍隊の最年少の兵士だった。

 そうした個人的な体験を踏まえて、あの戦争はなんだったのか。軍国少年だった自分も含め、当時、国民はどんな精神状況にあったかを考えてゆく。大所高所からではなく、体験に裏付けられた目で語られていて説得力がある。

 「草の根軍国主義」とは「草の根民主主義」に対応する造語だが、戦争へと熱狂してゆくあの時代の興奮は、必ずしも一部の軍国主義者によって作られたのではなく、草の根の国民一人一人にも責任があるという意味。氏は反省をこめてこの言葉を使っている。

 最近出版された井上寿一『日中戦争下の日本』(講談社選書メチエ)でも、「国民も戦争に協力している」「国民の戦争協力は、国家が強制したのではなく、まちがいなく自発的なものだった」と指摘されているが、佐藤氏も軍と国民は一体化していたという。だから占領軍(米軍)がやって来た時、抵抗運動はまったく起らなかった。軍隊が参ったので一体化していた国民も参ってしまった。

 昭和七年の第一次上海事変のとき、中国軍の鉄条網を命を犠牲にして破壊した「爆弾三勇士」が英雄になった。日本中で語られ、国民的ブームになった。この熱狂を作り出したのは新聞と国民大衆だった。軍や政府よりも興奮した。新聞が煽(あお)ったといっていい。

 「軍国少年」だった佐藤氏は、日本がアジアの盟主となって西洋列強からアジア諸国を解放するという思想には大賛成だったという。「しかし、そんな私にもなかなか理解できなかったのは、どうして日本軍は、解放するはずの中国に行って中国軍と戦っているのだろう、ということでした」。日中戦争は大義名分がなかった。平たくいえば弱い者いじめだった。国民は薄々それに気づいていた。だから「爆弾三勇士」の神話を信じ続けた。次の指摘はなるほどと思う。

 「正義の確信のない戦争などをやっていると、人は正義の代りになるようなものを求めずにはいられなくなるのではないか」「聖者のような兵士(注・三勇士)がいると、その戦争は聖戦のような輝きをおびてくる(略)」

 中国との戦争に比べ、太平洋戦争はわかりやすかった。それは弱い者いじめではなく、強い者に向ってゆく大義名分のある戦争だったから。ここで国民はまた熱狂する。「軍国少年」の佐藤氏もこの戦争には納得する。「アジアを広く植民地として支配している西洋諸国に戦いを挑んでアジアを解放する、というスローガンはまだ小学生の私の心にも真っすぐつき刺さってきました」「よし分った! と小学五年生の私は思いました」

 まさに「草の根軍国主義」だろう。日中戦争の敗北をいさぎよく認め小国日本に戻ろうとすればまだ別の道が開けたかもしれないがそうはならなかった。

 「明治以来、ひたすら朝鮮と中国を軽蔑することによって欧米先進国に対する劣等感を解消してきた日本人は、軽蔑しつづけてきた相手に敗北したことを率直に認めることができず、畏敬できる相手であったアメリカ、イギリスに向って玉砕するほうがまだ恰好(かっこう)がつくという心情に支配されていたのだと思います」

 ひとたび「草の根軍国主義」の熱狂が生まれてしまうと、なかなかあと戻り出来ない。その点で捕虜についての考察も考えさせる。

 太平洋戦争下、日本兵は敵の捕虜にはならず死ぬまで戦うものが多かった。愛国心に燃えていたからだけでは説明がつかない。

 佐藤氏は、別な理由を考える。「世間の目」である。みんなが戦っている時に、自分だけが捕虜になったら申訳ない。捕虜になると故郷にいる家族が非国民、卑怯(ひきょう)者の汚名を着せられ迫害される。家族に累が及ぶ。それだったら戦死したほうがいい。「草の根軍国主義」がもたらす悲劇である。

 映画評論家の氏は随所に戦争映画を例に出して当時の時代状況を的確に説明している。とくに戦後の日本の戦争映画は、太平洋戦争のものばかりで、日中戦争を扱った映画はごくわずかしかない、という指摘は重要。正義のなかった日中戦争を日本映画は避けようとしているのだろう。

 昨年公開されて評判の高かったクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」で描かれた、本土への空襲を一日でも遅らせるために全員死ぬまで戦えと命じた栗林中将を批判して氏はいう。

 「ある程度戦った段階で、これだけ戦えば国家への義務は果たしたと認めると言って(部下を)降服させるのが正しいと私は思います」

 この正論が現在、なかなか多数意見にならないところに「草の根軍国主義」の怖さがある。

<毎日新聞 2007年9月23日>
草の根の軍国主義
佐藤 忠男:著
平凡社
1,680 円
ISBN: 4582454356
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チクマ秀版社
1,680 円
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